陶芸作家 山上 學 (Manabu Yamagami) 

Interview:金城雅子 / Photography:太田紳
大宜味村田嘉里集落を山裾まで突き当たった川のほとり。螢窯・ギャラリーTATIが佇む。
作家 山上學さん(以下:山上氏)は、大阪出身でこの地に越して17年になる。陶芸家ながら、いや陶芸家だからなのか、その博学ぶりに圧倒される。大宜味村教育委員まで勤めた経歴から、この地への愛着を覗かせる山上氏がこの地に惹かれた過去から現在の思考までを取材させて頂いた。
左の建物が螢窯(じんじんよう)、右がギャラリーTATI。「じんじん」とは、沖縄の方言で螢である。

 

大宜味村に暮らすことになったきっかけや動機についてお伺いします。

「田嘉里(たかざと)に来て17年になりますが、沖縄の中でもこの大宜味村に惹きつけられたのを今でも覚えていますね。上手く説明は出来ないのですが、何かの方法論ではなくて家族を含めた人との関わりの流れによってここにいると私は感じてましたね。以前、私は栃木県で益子焼きをやっていましたが、ずっとここに居るわけではないと感じながら何かを探していました。その何かを求めて、全国を周りながら居場所を探してました。その中で沖縄には特別に感じるものがありました。縁もゆかりもないこの地に、何かに呼ばれているような郷愁めいたものを感じたんです。それから忘れてならないのは、加守田章二さんという陶芸家に影響された事も大きいですね。かれこれ40年近く前ですが、京都で陶芸と美術を勉強していた頃に、加守田章二さんの作品に縄文土器と同じくらいの宇宙感があることに感動しました。沖縄の陶芸家、国吉清尚さんの作品にも同じ波動を感じまして、彼の経歴を調べると加守田さんと交流があったのもびっくりしました。」

 

陶芸家としての活動にとどまらず、様々な分野の方々との交流が多くあるなど、幅広く活動されていますが、今一番興味や関心を持っていらっしゃることは何でしょうか。 

「最近は、特にコロナウイルスの事もあって考えるのは、私より若い人達が色々な活動している”トレンド”というものを考えてますね。僕らの時代のトレンドという言葉は、世の中の最先端をひた走っているイメージがあったんですよね。でも今の若い方達が発しているトレンドは、少し様変わりしてます。それは良い意味で言うのですが、身近なものになってるんですよね。カフェを作るにしても、ムーブメントというか、今考えられることを純粋に実行することで話題になる。そのこだわりやピュアさが、オシャレな形で出回って来てるでしょう?あれはとても良い動きだと思うんです。自分を信じ切るというか。それはとても刺激になりますね。そこで、私はさらに私なりに考えていることがあって、”トレンド”ってそもそも何なんだろう?という自問に至ったんです。これは私が作家である以上、とても必要な要素として考えてました。それは、やはり神を感じる世界観だということに行き着くんです。神を感じることによって生まれる哲学や考え方の基本が無いといけないと思います。例えば阿波踊りとか、オリンピックなんかもそうですよね。神に捧げる何かだったり、神を感じるために行われることが世の中ではしっかり根を張ってるんです。ただ、現代は神が資本に変わっているのを見て来たので、それは正直面白く無いと思ってます。お金は面白みに欠けるんですよね。お金より、神にどれだけ近づくかという精神状態だとエネルギーを感じ取ることができます。改めて、その神を感じるための活動をしようと思いました。」

 

地域の方々と様々な取り組みや企画など、コミュニティーリーダーとしても活動的でいらっしゃいますが、その原動力はどこにあると思いますか。

リーダーなんて事は全然ないですが、自然が豊かな分、人のコミュニティが小さい村の中で住民がより近しくなりますよね。彼らと沢山の会話をする中で、色んな課題ややりたい事が出てくるんですよ。そうするとアイデアも出てくるでしょう(笑)。いざやろうと思うと仲間が増えてくるんです。やっぱり何か面白いことやろうとするとエネルギー出ますから、特に若い人は感度が高いので。原動力という意味では、地域の人たちでしょうね。それから、企画やコミュニティーという言葉がありますが、昨年に作家やデザイナーなどが集う”ティコラボ”という、言ってみればクリエイターのグループを結成したんです。若い人が先ほどのトレンド発想で活動していて非常にエネルギーがあるんですが、先日のコロナによる非常事態宣言の前に私はそこを抜けたんですね。ポジティブな意味ですよ(笑)。若い彼らの発想を外側から応援した方が確実に良いコンセプトに繋がると思ったんです。年齢が上の僕が口出しばかりするのも良くないですからね。そういう意味で、私は企画やコミュニティーが立ち上がる瞬間まで関わることが良い結果に繋がると思いました。

 

2020年は全人類の記憶に残るほど世の中が大転換しようとしています。その事をどう感じていらっしゃいますか。 

「新型コロナウイルスという影響で、生活そのものが劇的に変わることになるでしょうね。ただ、我々は田舎の中で住んでいて、都会のように物理的に困るような事は今のところ感じていないんです。ということは、田舎の暮らしというアナログな生活が基本としてあれば、都会よりウイルスとの共生というのが可能なんだろうなとは思いますね。しかし、大宜味村でも”いぎみてぃぐま”という工芸市やこれからのイベント行事などが中止になった事は寂しいですね。我々作家にとって、作品が人の目に触れる機会が大事ですので「集まれない」という基準になった場合、次世代の「見せ方」を考えなければなりませんね。」

手前には自宅、清流の上の小さな橋を渡った向こうにアトリエがある。ちなみに自宅には五右衛門風呂がある。

 

これからの生活スタイルに影響があると思われますか。 

「皮肉にも新型コロナウイルスは、多くのことを世に示す事になりましたね。自粛ムードの中で、私はフランスの社会学者マルセル・モースによる贈与論というものに興味が湧きました。贈与、つまり与える事で起こる現象。私が作る作品もいわゆるモノであって、人に与えることができるのですが、何をもって与え、それがどのように人生に影響を及ぼすのか。かのダダイズムのマルセル・デュシャンの石碑に書かれた”されど、死ぬのはいつも他人ばかり”という言葉が好きなんですが、デュシャンの作品は言わば俳句なんですよね。しかも相手の捉え方に100%判断を委ねる作品が多い。つまり思考せよという学問を贈与しているのだと思うんです。その境地というのはとても興味がありますね。今後の世界は少しそう言った利他的発想を含んだものに変化してゆくんじゃないでしょうかね。希望的観測ではありますが(笑)。」

珊瑚や貝と聞いて、このシーサーは納得できる。実にユニークに溢れ、そして力強さを感じさせる作品だ。

 

山上さんの作品は独特の造形や模様が特徴ですが、その基礎となっているものは何ですか。

「私の作品造形の全ては珊瑚と貝から来ています。これがこの地に根付いた足跡になりますからね。この珊瑚と貝の造形というものにインスピレーションを感じたんです。自分の作品のテクスチャは沖縄のものでやりたいと思っていて、例えば縄文時代の土器なんかは全て縄使っているでしょう。それと同じような考えです。海で珊瑚を拾ってくると、その模様も決して同じものはなくて全てに表情があるのですが、私にとってはそれがとても重要なんです。それともう一つ要素があって、バブル、つまり泡というもので味付けをしていて、珊瑚が呼吸したり産卵したりという情景をコンセプトにしています。私の場合、茶碗一つを作っていても主旨である茶碗自体はちょっとした遊び心の要素と思っています。キャンバスに描いているだけでは退屈になる可能性があるので、工芸にして日々使えるものにする(笑)。これが工芸の愉しみでしょう。」

珊瑚と貝。この小さなマテリアルを海岸で拾うところから全てのコンセプトは始まった。

 

大宜味村の一番の魅力は何だと思いますか。ここに住み続けたいと思う瞬間がありますか。

「先ほど、トレンドの話をしましたが、沖縄は神と繋がるための儀式や行事が沢山ありますよね。大宜味村にもとても深いものを感じるんです。その感じる何かが私にとってモノづくりの原点であると思っています。それから教育も同じことが言えて、神という原点があって初めて色んな考えを持って生きることができると思っていまして、その原点を教育されなければ空虚な人生になってしまうのではないかと思います。大宜味村は海神祭(ウンジャミ)があったり、大人も子供も、そして女性が神に近いという昔からの風習が一切変わっていない良さを感じます。そういうところに囲まれて住んでいると、言わば身構えない状態で生活できて制作も集中できるんです。 でも神の影響が強すぎるところは緊張感ばかりが募ってダメですね。熊野や久高島などもとても好きな場所ですが、波動が強いというのかな、厳粛さが全面に出すぎてしまうんですね。そういう意味でも大宜味村は全てが程よいと感じています。」

 

大宜味村の環境を肌で感じながら生活をされていらっしゃいますが、環境の変化で懸念することがありますか。

「環境の変化という意味で少し違う返答をしますが、かなりポジティブな変革がこの田嘉里で起こる可能性があります。実は現在、田嘉里川でとある発掘調査が始まってるんです。それは、昔この田嘉里は沖縄北の中心だったのではないかというものなんです。田嘉里には当時ノロ(祝女)がいて、やんばる船がここから喜界島あたりまで人と物を運んでいました。もしそれらを裏付けるものが発掘されると沖縄の歴史が変わるほどの事です。そして私にとって特に興味を抱かせたのは、田嘉里川の下流には以前、作場(さば)という地域があって、そこでは作場焼という窯があったようなんです。残念ながら作場焼に関しての資料がほとんで出て来てないんですが、実際にその場所から沢山陶片が発掘されています。

名護にある古我知焼とよく似たものですが、とても貴重なものだと思います。これは越して来た後に知った事で、偶然にもインスピレーションを感じた場所に窯場があったというのは自分でも縁を感じた瞬間でした。なので、私なりに作場焼の復元をやろうと考えています。環境の変化も流れに身を任せた上で、自分の立ち位置と対応力が合致すれば行動するべきでしょうね。」

この場所にどれだけ時間を費やしたかという重みを感じられるのがアトリエ取材の醍醐味だ。

 

今後、企画してみたいことや取り組んでみたいことがありますか。 

“俳句のように作品づくりをしたい”

「作品にもっと深く向き合うことですかね。先ほど話した神や宇宙的要素との繋がりみたいものを突き詰めると、作品自体から詠や言葉が発せられるんですよね。作品にも俳句があると思うんです。そういう意味で私も加守田章二さんのように一点モノという領域を目指したいなという想いはあります。」

 

最後に、山上さんの作品を自分なりの言葉でご紹介してください。

「唐突ですが、料理人っているでしょう?僕は料理というのは、屋号に宿っていると思うんです。料理人という固有ではなく、その店というのが非常に大事だと思っています。この店に行けば大好きな料理が食べられるといってお客は行きますから。最高の素材とか最高の知識とか調合全てがプロとして美味しいものを提供する。そういう意味を引用して、私の作品は「冷蔵庫のモノ」なんですよ。特に土や調合や素材にこだわっている訳ではないんです。土も普通にお金で買えるものです。私はそこにこそ神が宿っていると信じているところがあって、私にとっての屋号である冷蔵庫にあるもので、最高の料理を作る事に生きがいを感じているのです。冷蔵庫は別の言い方をすると、このアトリエであったり、大宜味村だったりする訳です。私に会いに来られるお客様に外食でもてなするよりも、我が家の食事でもてなしたいという思いの方が強いですね。そういうものが山上の作品なのだと思います。」

「いや〜、今日は、よ〜喋ったわ(笑)。」

ギャラリーTATI。まさにジャック・タチであることが、ユニークな展示法で見て取れる。