みやぎたつまさ。

それが彼の名前である。

宮城樹正さん(以下:樹正氏)は、大宜味村の北にある「やんばる」3村の最北端である国頭村で生まれ育った。国頭村は、やんばる地域では一番大きな面積を有し、沖縄固有の動植物が多く生存している地域であるとともに、現在世界自然遺産登録出願中である。
樹正氏は国頭村の中心地である辺土名在住で、介護系の仕事を勤め上げた。
60代の定年後は、水を得た魚のようにやんばる地域を走り回り、あることを行なっている。

宮城樹正氏
国頭村役場新庁舎建設計画を前に、現在の役場やその周辺を撮影し、後世に伝えるための撮影を行っている。

それは、至る場所にある歴史・文化の変化というものを写真に収めているのだ。今の町並みを撮影するに当たっての動機は、戦前や戦後の資料から見つけた数々の写真だ。行政地区の資料、県立図書館、公文書館、時には個人宅に眠る古い写真たち。当時の樹正氏の躍動感は彼に会って話を聞いた瞬間に伝わる。日本人離れした機敏なゼスチャーと、語りながら自ら感情溢れて潤む目尻、分かりやすくも先走る早口。その全てが愛おしく、そしてこの上ない信頼感と誰の心にもある故郷の懐かしさが体をめぐる。

樹正氏のライフワークとも呼べるその活動は、写真を撮るだけにとどまらない。

撮り貯めた膨大な資料となる写真は、70年以上前の写真と照らし合わせ、時代の流れを視覚的に構築しながら、写真の対象となる場所や事象における言い伝えや文化を収め、パワーポイントのプレゼンテーションとして日々綴っているのだ。そのプレゼンテーションデータの膨大な量は、感動を超えて大笑いするほどである。

外出時にはいつもラップトップを持ち歩き、機会があれば出会った人々に上映会を始める。そこに参加された方の中には、偶然にも先祖の写った写真が登場し、涙を流して喜ばれたという一幕もあったという。

樹正氏自身が持つ知識、そして険しい大自然の中を駆け回った足の記憶がこれまでの歴史資料を覆すような研究成果もあった。誰に依頼された訳でもなく、自分の人生の意味を悟ったように、彼は沖縄・やんばるに情熱を注いでいる。

『100年後、きっと誰かが僕の資料を見て喜ぶはず』

彼のその言葉には、聞く者の心を熱くさせる力が宿る。

POLYHEDRAの研究対象に樹正氏の名前がクレジットされるのに一切の時間は掛からなかった。

樹正氏のような純粋な人がこの地に住まう。70年以上この地に生きながらも、愛情を注ぎ続けられる心を養う何かがこの地にはあるのだ。ならば、彼が伝えるべき相手をより多く集めることが我々次世代の役割であろう。

樹正氏にはこの先も大いに語って頂こう。あまりにも眩く美しいその人生を燃やして。

国頭村の山奥で発見した飛行機の残骸。米軍に落とされたゼロ戦の可能性も指摘。