1879年、琉球藩廃し沖縄県が設立された。それから10年後、県内住宅における建築認可の環境が大きく緩和された。これまでの茅葺屋根から赤瓦葺き、漆喰塗りなどの住宅に建て替えられるようになった。住環境における知恵が進化を促し、沖縄という亜熱帯地域の気候風土に耐えうる住宅が革新される中、台風やシロアリといった被害にも考慮が及び、コンクリート建築の礎ができる。1920年(大正9)、コンクリート建築技法・設計に定評のあった清村勉氏が熊本県より赴任。名護市を拠点に北部エリアにおける公共施設、学校、市場などの建築施工を築いていった。1924年(大正13)、清村氏は大宜味村からの依頼で新築庁舎を建設を依頼された。施工は、大宜味村の饒波(ぬぅは)集落の金城組が担うことになる。

” 饒波出身の職人の全力を集結して当たりました ”

棟梁であった金城賢勇氏が残した言葉である。

当時の金城組は大工仕事での質の高さに県全域でも定評があり、自信もあったと思われるが、県内初となる本格的鉄筋コンクリート建築という未知の領域に挑むことへの緊張と意気込みが感じられる。

コンクリートに使用する砂とバラス(玉砂利)は全て村の海岸で集めたものであったが、そのまま使用すると残留塩素によってコンクリート内部の鉄筋が錆びてしまい、早期劣化に繋がると発言する清村氏の指示で、幾度も川で洗浄したという。(現に県内で戦後のコンクリート建築では海岸のバラスをそのまま使用したものが多く、内部劣化によって立て壊されたものが多い)

大宜味村役場庁舎は1925年(大正14)竣工し、1972年(昭47)の庁舎としての役割は終了したが、以後も編纂室などとして使用され続けている。
海岸から僅か100メートルの場所にありながら、2020年となった今なお、圧倒的な姿でそこに佇んでいる。2017年には国の重要文化財に指定され、県内最古となるコンクリート建築となった。

重要文化財指定と同時に、琉球大学教授らによる耐久性の調査も行われた。

研究内容の一つ、中性化試験に興味深い結果があった。鉄筋コンクリートの寿命に関わる劣化の筆頭は、内部の鉄筋の腐蝕である。沖縄のような亜熱帯及び塩害地域においては致命的であり、50年以内で解体を余儀なくする建物も多い。しかし旧庁舎においては、中性化深さが漆喰・モルタル仕上げの外壁表面からわずか3cmで止まり、鉄筋部分まで達していなかったようだった。非常に丁寧に気を使いながら施工したと実証された瞬間だったという。

重要文化財としての旧庁舎において以下のような記述がある。

“地上戦で灰じんと化した沖縄県において、本旧庁舎は戦前の建造物として残存する数少ない建物の一つである。大正期にメートル法を用いた画期的な設計、沖縄の気候風土を十分に考慮したコンクリートでの設計、台風による風圧を軽減する目的の八角の平面形状など、優れた特徴がいくつも混在している。機能的かつ近代にも通じるデザイン性、明るさを重視した内壁の美しい漆喰、床の目的、五角形の柱、天井の細工、海上監視にも適した2階唯一の村長室、機械のない時代にその全てを思考と手作業で造り上げた人々の工夫や努力が随所にうかがえる素晴らしいものだ”

2021年、旧庁舎は築97年を迎える。沖縄の人々にとって97歳は「カジマヤー 」といい特別な意味を持つ。